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2008年10月27日 (月)

肥田医師ーヒバクシャの時代

先日の土曜日、今年6月に亡くなられた「想い出のサダコ」の著者、大倉記代さんの追悼の朗読会&肥田舜太朗先生の講演会に行きました。

鎌仲ひとみ監督の「ヒバクシャ」に出ていらっしゃる肥田先生には、お会いしたいとずっと思っていました。

肥田先生は現在91才。
原爆投下時は、広島の陸軍病院(爆心地から500m)の軍医で、前夜に市の中心部から車で15分くらい(かな?)の戸坂に急患で呼び出され生き残れた方です。
あの日の朝、子どもに注射しようとしたその瞬間、広島の街にそれは大きなオレンジに輝く火柱があがったそうです。そして黒い雲のかたまりが自分の方へとものすごい勢いで襲ってきて、天井まで飛ばされ、その家は崩れたそうです。(子どもさんは無事でした)
それから、病院をめざした先生ですが、途中の川で川向こうに広がる火の海に阻まれ、今自分がするべき事は逃げてくる人々を救うことと悟り、戸坂の小学校で治療にあたられたということでした。
8月6日の先生を阻んだ川の様子、3日で3万人もの被爆者が逃げて来た村で患者を見た先生のお話は、私の様に小さい頃から原爆の話をなんども見聞きし、原爆資料館に何度も足を運んだ者でも、耳を塞ぎたくなるような恐ろしさ、惨さでした。
先生はその頃すでに被爆と被曝の存在になんとなく気づかれていたようです。
しかし、戦後の日本は原爆を落としたアメリカの占領下。
被爆者に対しても医師に対しても被爆に関する情報封じが徹底されていたようです。
原爆に関する情報はアメリカ軍の軍事機密。
被爆者は国からも医師からも見捨てられたようなものでした。
そのような状況のなか、肥田先生は被爆者を診続け、MPに3回、警察に1回拘束されたそうです。
何も聞かれず、何もされず、周りをどう猛な犬に囲まれた独房のなかで一晩を過ごした後解放された
そうで、脅しだったんでしょうねと、話されていました。

今も放射能に関する情報は、ほぼアメリカが持つ原爆投下時のもので、日本の政府も学者もその資料をもとにしているらしいです。
被爆者認定裁判にも長年関わっていらした先生は、実際に長い間被爆者を診て来た実績で裁判を勝ち取ってきたのです。

肥田先生ははっきりと、これからはヒバクシャの時代になると言われました。
いや、すでにそうなっているのだとも。
実際、先生の患者さんのなかには、「原発ジプシー」と言われる人々がいるそうです。
彼らは原発で事故があると呼ばれ、危険な仕事を引き受けるのです。
公表されていない大きな事故もやはり存在したのだと、確信しました。

この日は、本当は鎌仲監督も参加の予定でした。
監督は朝早く上関に行かれ、上関原発反対集会を取材していました。
山口県知事は、あの美しい瀬戸内海の豊かな漁場を、原発を建てる為に埋め立てる事を認めてしまいました。
県議会議員たちは何を見ているんでしょうか?
今もらえるわずかなお金と未来に引き継ぐべき貴重な資源を引き替えにしてしまったんでしょうか?

今朝の朝日新聞には、原発の宣伝かと思うような次世代原発の記事がありました。
昨日の自然エネルギーの記事には、原発全廃を目指すドイツの取り組みが紹介されていました。
どんなに経済的で免震構造のものを造っても、放射能が排出され、核のゴミが出る限り、未来の人々にとって迷惑になることは否定できないと思います。

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